『核兵器のない平和で公正な世界を』
”原水爆禁止2007年世界大会・長崎”に参加しました。世界大会には、1977年大学1年の時(広島大会)以来30年ぶりの参加です。
核兵器廃絶、被爆者援護を求めて日本全国から(閉会総会には7000人が参加)、また3カ国の政府代表を含む世界の多くの国々からの参加者により、熱い討論と報告が行われ、また田上長崎市長も市長就任後初めての世界大会に参加し、挨拶を行いました。
2日目は、「非核自治体運動の前進のために」の分科会に参加しました。佐藤光雄日本平和委員会代表理事の問題提起の後、非核自治体運動の全国での取り組みが報告されました。
問題提起の中で、非核宣言自治体は全国1874中1448自治体、77.2%(2007/6/1現在)に到達していること。非核宣言が条例化されている自治体も13自治体あることが述べられました。倉敷市は非核宣言がなされていない22.8%の中に入っているのだと思うと何かしら居心地が悪かったです。しっかり取り組んでいかなければとの思いにも駆り立てられました。
参加者からは、運動上での悩みもだされました。神戸の自治体労働者からは、「大学時代、安斎育郎先生の講義も受け、平和についてしっかり学んだであろうと思う若い組合員から、「なぜ労働組合が平和運動に取り組まなければならないのか?」という声がでる。どうこれに答えたらいいのか。」など率直な声がだされました。
私は、全国の経験を聞いてしっかり勉強するつもりできていたのですが、分科会の司会者が岡山県原水協の平井事務局長であったことから、座っているだけにもいかなくなりました。党市議団が一貫して取り上げ、実施をさせてきた倉敷市の平和行政の取り組みについて報告をさせてもらいました。
(↑自転車で広島から長崎まで、平和の声を伝えた若い先生の報告:大会参加者の半数を占める若者は元気いっぱいです)
閉会総会では、2010年の核不拡散条約(NPT)再検討会議にむけ、2000年NPT再検討会議での核兵器廃絶の約束を実行させようという大会参加者の決意が示されたものとなりました。そして、大会決議「長崎からのよびかけ」と、国連と各国政府に核兵器全面禁止条約の協議開始を訴える特別決議「長崎からの手紙」を採択し、世界大会の幕を閉じました。
しかし、日本政府はまったくなっていません、怒りがわいてきます。安倍首相はこの間、被爆者の方達との協議の中で、原爆症認定基準の見直しを約束しました。しかし、熊本地裁での原爆症認定集団訴訟の原告勝利判決に対して控訴をするという、被爆者を裏切る行動に出る、許せるものではありません。
被爆者の平均年齢は74歳を超えています。もう時間がないんです。控訴を撤回させ、認定基準の抜本的な改善をさせるためにも、私も何か出来るところから参加していきたいと思っています。
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