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2011年6 月28日 (火)

コメント

名無し

結局、防災だけでなく「減災」までも放擲しました。
生活の保障が無い日本の社会では、生きながらえても、着の身着の儘(まま)放り出されれば、途方に暮れます。
零細な企業は自然災害の度に叩きのめされます。
社会が高度に組織化されていて、手軽に商売替えしたり、商売を始められません。
所得・労働の増幅された格差・消費税などの高負担・ますます切り下げられる福祉と社会保障だけでなく、自然の猛威がそのまま生活を破壊します。

「倉敷市災害対策基本条例」は否定的な意味を持つことになると案じられます。

「「減災」の考え方から「逃げる」ことを前提とした地域づくりが基本」
東日本大震災:「高台移転」に限定せず 復興基本方針案 - 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110721k0000m010159000c.html

名無し「」

①日本共産党の主張する「防災対策」という言葉を退けて「災害対策」にしたとすると、災害を防ぐより、避難などの後始末しか頭に無いな、との感じが拭(ぬぐ)えません。

②憲法の原則に反対する「教科書」が行政による「検定」に通ることがおかしいです。

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